金賞杜氏の日本酒情報局

日本酒製造現場からの情報発信

お酒造りとは?  尊いものである。

酒造りとはあなたにとって何ですか?

僕はこれまで飲み手の方々から何度かこの質問をいただいております。

飲み手の方々にも色々いらっしゃいまして、「杜氏」というポジションにかなりのリスペクトを表して下さる方、僕みたいな若手の造り手をそれほど信用してないといった方、全く造り手に興味がなくただ酔うための酒を求めている方など、数限りないほどの方々がいて面白いのですが、やっぱりその中でも、僕らのいる蔵のブランドに愛着を感じてくださるファンの方々から、一番多くこの質問をいただいている気がしています。

たまに、雑誌のインタビューなどでもこの手の質問もあったりするのですが、こういった場合はやはり、取材用のコメントをあえて言ったりもしちゃいます。せっかく多くの人々に見てもらえそうなメディアであれば、ある程度の露出によって認知度や売上を意識してしまうのは仕方がないことなのかもしれません。

「人生そのものです」とか「僕の全てです」などのフレーズは、ファッションとして中々映えやすいですから。

でもね、

実際には至ってシンプルに「仕事」だと思っております。

僕にとっての酒造りは、仕事そのもの。

生活の糧であり、家族を養う手段のひとつとして酒造りを今は選択していることが正直な答えです。
多くの人々が自分の仕事に対して同じように考えているんじゃないかと考えますが、僕は地味にそう思います。

ファンの人達としての心情として、冒頭の質問をしてきている時点で、「何か特別カッコいいフレーズを言ってくれ」的な期待がすでに見え隠れしていますから、ファンをがっかりさせても悪いとこちらも頭を働かせて、その時々で浮かんだそれなりのフレーズを言ってみたりしているだけなのです。

伝統工芸品として位置づけして良いと考えている我らが「日本酒」でありますが、古くから日本人の生活や心情に寄り添った形でこれまでの歴史を歩んできたのではないかと考えます。

酒造りとは?というテーマからはちょっとそれる話題になりますが、人間に喜怒哀楽の「気持ち」に日本酒は上手に引き立てたり染み渡ったり、それぞれの心情に密接な距離感を感じさせてくれます。

「喜」 日本酒を側に置きながら、飲みニケーションなんて造語も使われますが、普段無口な人も心地良い酔いと共に饒舌になって場が盛り上がります。結婚式などの祝いの席では、乾杯の発声とともにみんなで喜びを分かち合うツールとなります。
「怒」 変な酔い方をしたり、ストレスが酔いとともに熱を帯びるとメンタルが乱れます。強い反骨心に発展したり、自分のプライドが傷ついたりすると日本酒を飲んでいることさえ時には嫌気がさしたり。気を付けておきたいですね。
「哀」 気持ちが落ちている時や孤独を和らげたい時のツールになります。しみじみ日本酒は静かに寄り添います。仏事にはかかせないもので、清めや供養として用いられています。気持ちを癒してくれるバンソウコウ的な役割にも。
「楽」 おいしい料理を食すこと、様々な雰囲気や多くの日本酒をセレクトする幸せ、人との出会いなど、その瞬間がより素晴らしいものに彩られます。笑顔が溢れて素敵な気持ちに。

以上、日本酒は「気持ち」と近い存在であることの一例です。
そんな日本酒を僕たち造り手は日々醸し続けています。僕は日本酒がずっと日本人の暮らしに近い存在であり続けてきたこと、そしてこれからもそうあり続けていけるものとして大きな尊敬と期待をもって造らせていただいております。
日本酒の素晴らしさってそういうところではないかなぁと感じているから。
たまたま僕は酒造りに興味を持ち、これまで20年間夢中でやってきましたが、自分が造った日本酒が、色んなシーンで人々の心情に寄り添いながら取り扱っていただいている。
そういった部分に、仕事としての魅力を感じていますし、やたらな酒にしては失礼だなと襟を正す心境になったり、うまく言えませんがちゃんとやらなきゃって思います。

日本酒ってそういうアイテムでしょうから。

なんかほっとしたり、えいやーってなったり、あ~あってなったり、やったぁってなるもの。
僕にとっての酒造りって、そういうものなのかもしれないです。